幸せになるための法華経 妙法蓮華協序品第一 ②  8

妙法蓮華経 序品第一 ② 

                                                 前回では無量義経では菩薩が対象で説かれており、いよいよ序品に入り、一般大衆に説かれる為に心構えを教えて下さっています。

 いよいよ説かれる為の前兆として奇瑞が現れ、そして、文殊菩薩の過去のお話が始まり、その中で後の弥勒菩薩のお話もありました。

 

 では、今回は序品第一の②に入ります。

 お釈迦さまが、ブッダガヤで悟りを得られてから、まず鹿野園(ろくやおん)に行かれ、5人の比丘に対して最初の法を説かれました。

 

四 諦(したい)

苦 諦(くたい)・・・苦から逃げず正面から受け止める 

集 諦(しったい)・・・苦の集(原因)は苦から逃げないで実体をよく観て反省して       

             みると、貪欲(とんよく)であることに気づく

滅 諦(めったい)・・執着を捨て去れば苦は消滅する

道 諦(どうたい)・・・苦を滅する道。それは八正道(はっしょうどう)である

 

八正道(はっしょうどう)

正 見(しょうけん)・・・自己中心の見方をせず相手の立場に立った見方をする

正 思(しょうし)・・・考え方を自己本位にせず大きな立場に立った考え方をする

正 語(しょうご)・・・正しい言葉遣い(真理にあった)をする

正 行(しょうぎょう)・・・身の三悪(殺生・偸盗(ちゅうとう)・邪淫(じゃい 

              ん)をしない

正 命(しょうみょう)・・・人の迷惑にならない仕事・行動をする

正精進(しょうしょうじん)・・・正しい目的に向かって怠けず脇道にそれない

正 念(しょうねん)・・・わがままを捨て心を正しい方向に向ける

正 定(しょのうじょう)・・・心をいつも正しくおいて変化に揺らがない

 

諸仏には会い難し

 仏様の教えを聞かせて頂くのはよほど幸運なことなのです。

善行を積んで行けば仏様が見えてくるのです。というのは正しいものの見方ができる

ようになるのです。それは相手の立場に立った見方ができるようになるのです。

 

余談

 先日、kis--my-ft2の藤ヶ谷くんの主演映画「そして僕は途方に暮れる」を観た感想ですが、この映画はどこまでも逃げまくるというものでした。上記の「集諦」の逃げてはいけないということをかみしめた時に、この映画の奥深さを考えさせられました。

藤ヶ谷くんの熱演も感動しましたが、三浦大輔監督のすごさを改めて感じました。世界の人に観てほしい作品です。

自己中心で戦争をしている現在において、「八正道」とても大切です。世界中の人が自己中心ではなく相手中心のものの見方をし、お互いを尊重しあえるようになることを祈念してやみません。

 

次回は妙法蓮華経 方便品第二に入ります

 

真に幸せになるための法華経 妙法蓮華経 序品第一 ①

妙法蓮華経 序品 第一 ①              7

 

 前回、無量義経十功徳品第三では、仏様が大荘厳菩薩を始め菩薩達にこの教えを広めることにより、人々を救い、自身も利益を得られる事を説き、菩薩達に人々を救う事を託します。そして託された菩薩達は感動し、仏様の慈悲を受け止め、去って行った。ということでした。

 

 では、今回は妙法蓮華経 序品第一に入ります。                   

仏様は苦を解決し、人を救い、全世界を幸せにしたいとの願いから、私たちに人を救い、世界を救う智慧を私たちに授ようとされています。

 今までの人々を救う為の多くの教え(無量義)とこれから説かれる妙法蓮華経の違いは、仏様が入滅された後、私達が人を救う働きができ、世界平和の一助となれるように仏様の使いとなれるように、そして、いつか仏様の働きに近づくようにとの仏様の願いがこめられています。

菩薩が対象だったのが一般大衆に移るのです。

 

ですから、法華経は難しいのです。理解出来たのは、この時点では大荘厳菩薩と八万の菩薩だけでした。十大弟子舎利弗(しゃりほつ)もまだ、理解出来ておりません。

私たちが理解出来ないのは当たり前で、安心して下さい。

つまり、序品第一は私たちが法華経を学ぶ心構えが説かれているのです。

 

 始めに霊鷲山釈尊の元に八万の菩薩やバラモン教釈尊の母、妻、国王、臣民、古代の神々が集合しています。

 

 そして無量義の教えを説き終えられた釈尊が三味に入られます。

すると、奇瑞が現れます。花々が天から降り注ぎ、釈尊の眉間から光が放たれたのでした。その光は未来の世界を照らし出し、地獄から天界まで全て映し出し、明らかにしたのでした。六道輪廻で迷う人々の姿や、修行をしている菩薩や人を救う仏や仏滅される光景やその仏を讃嘆している状態が見えるのでした。

 

 次に、この奇瑞を見て、弥勒菩薩文殊菩薩に質問します。

すると、文殊菩薩は「私の過去の経験から、これから釈尊は最も優れた教えを人々に説かれようとしています」と答えられました。

 

ここで文殊菩薩の過去のお話が始まります。

 

過去において日月燈明如来という仏がおられて、「八正道」「四諦」「十二因縁」「六波羅蜜」を説かれた。この日月燈明如来は次々と同じ名前で二万仏現れ、二万仏目の日月燈明如来が出家される前に8人の王子をもうけていました。この8王子も出家し徳行を積みました。実はこの法会に800人の弟子を持つ妙光菩薩がおられ、その中に、求名(ぐみょう)という人がおり、その人が後の弥勒菩薩なのです。

というような話をされたのでした。

こうした奇瑞は法華経が説かれる前兆なのです。

そして、この後、いよいよ法華経が説かれます。

楽しみにお待ち下さい。

 

次回は序品第一の②に入ります。」

 

 

 

 

幸せになるための法華経 無量義経十功徳品 第三 ②  6

 無量義経 十功徳品 第三  ②         6

 

 前回、大荘厳菩薩の質問で、この教えはどこから来てどこに留まりどこへ行くのかに対し、仏様の答えは「来・至・住」でした。それは仏様の慈悲からきたもので、人々の発菩提心に至り、菩薩行をするところに留まるということでした。

 次に、それは菩薩行を実践する所に幸せがあると説かれましたが、それに留まらず、十の功徳があると説かれました。(十の功徳は前回をご覧下さい)

 

                                          

では、今回は十功徳品第三の②に入ります。

 

無量義経が説かれたことにより、全宇宙、世界中が感動し空から美しい花々が降り注ぎ、芳しい芳香が漂い、仏と菩薩と人々すべてが供養されました。

 次に、仏様が大荘厳菩薩を初め菩薩達にこの教えを広めることにより、人々を救い、自身も利益を得られる事を説き、菩薩に人々を救う事を託します。

 そして、託された菩薩達は感動し、仏様の慈悲を受け止め去っていきました。

これで無量義経十功徳品は終わりです。

 

付 録

 前回でお伝えしました十功徳品の中で、「六波羅蜜」というものがありましたねで、詳しくお伝えします。6つの事を修行することにより幸せになれます。

 

六波羅道」  

布 施・・・凡夫はもっと欲しいという物欲があります。布施をすることにより物欲       

       が薄まります。そして人に寄り添うことができるようになれます。

自 戒・・・人は知らず知らずのうちに驕慢になります。戒めることができるよう     

       になり謙虚になれます。

忍 辱・・・人は腹が立つ時がありますが、すべて平等と悟れば腹が立たなくなりま  

       す。

精 進・・・精進することにより平等と調和が解る

禅 定・・・平等と調和が解ればいつも平穏でいられる。

智 慧・・・智慧が無く本能のままの状態から平等と調和が解り、自他一体であるこ  

       とが解る。それにより思いやり、慈悲心がわいてくる。

 

六波羅蜜の修行をすることによって幸せになりましょう。

 

次に業の自壊作用について

一つの不幸があれば一つ業が消えたことになる。(+ - =0)

宿業や過去の行いによって現れた現象ですが、良い事が起こればその分、徳がなくなりますので、又徳を積む必要があります。この徳分は親、先祖の徳分はもちろん、自分が積んだ徳分もあります。仮に事故に遭っても小難や無難で済むことがあります。私も経験がありますが、息子が九死に一生を得たことがあります。ご先祖様が守ってくれたのだと今でも思っています。徳を積む、つまり人の為に良いことをすることです。

過去の悪業は変えられないが徳を積むことによって薄められます。

そして、つらい事があっても前向きになれます。気持ちが楽になることが幸せの近道です。

 

智慧=自他一体=真理です。世界は善悪が混在しています。普通に考えれば悪は悪いに決まっているのですが、悪も調和の一部です。ですから悪から学ぶものもあるのです。それが解れば悪を許し更正を願い、いつも平穏でいられ、前向きになれ、少しでも良いことをしようという気持ちが涌いてきます。世界平和を願ってやみません。

 

次回は序品第一に入ります。

真に幸せになるための法華経 十功徳品第三  ①

無量義経 十功徳品第三  ①           5

                                                  前回、説法品第二では、六道輪廻していては幸せにはなれませんよ。と説かれ、そこから抜け出すのに「生・相・空・寂」が説かれ、それは性質の現れかたは千差万別であるから、それにとらわれず、すべてを受け入れることが肝要と説かれました。

 現れ方は千差万別ですが、元々は真理はただ一つで、気根に応じて説いてきました。

 

今回は十功徳品 第三に入ります。 

 始めに大荘厳菩薩が仏様に感動とお礼を申し上げる所から始まります。

この教えを学び実践すれば宇宙のありようがすべて解り、どのような出来事にも正しく対応することができるようになります。人々に回り道をせず正しい道を歩むことが出来るようにお教え下さい。

 

  大荘厳菩薩は続けて質問します。

この教えはどこから来て、どこに留まり、何処へ行くのでしょうか。

 その問いに対して仏様は私の深い深い深い心から発したものですから、物事を正しく判断できるようになれます。と答えられ、「来・至・住」を現わされました。

 

「来」・・・仏様の慈悲から来たもの

「至」・・・人々の発菩提心に至る

「住」・・・菩薩行をするところに留まる

菩薩行を行う所に幸せがあると説かれましたが、それに留まらず、実践するところには十の功徳があることが説かれます。

 

第一の功徳・・・他の人を救わねば幸せになれないことが解り、

        「四無量心」・・・慈悲喜捨のこころを起こし、

        「六波羅蜜」・・・布施・自戒・忍辱・精進・禅定・智慧を授かり

第二の功徳・・・教えを少しでも聞いただけでも全ての教えが理解できる

第三の功徳・・・煩悩に苦しむ人を救い出せるようになる

第四の功徳・・・いつも仏様から守護されるようになる

第五の功徳・・・凡夫の身でも大菩薩と同じような結果現象を現わすようになる

第六の功徳・・・凡夫でも人を幸せにできる

第七の功徳・・・目の前の事に苦しむ事が無くなり、安楽に暮らせるようになる

第八の功徳・・・凡夫でありながら安穏の境地を得、人々を仏道に導きいれられる

第九の功徳・・・宿業が消え、人を導く力を身につけ、悪を止め善を進める力が備わり

        全ての人を幸せにできる

第十の功徳・・・凡夫の身でも仏の悟りを得る。人々の苦を取り、幸せにできるように         

        なり、近い将来に仏の悟りを得るようになる

                                       

次回は十功徳第三の②に入ります

 

 

真に幸せになるための法華経 無量義経 説法品第二  ②

無量義経 説法品第  ②                     no.4

 

前回は菩薩に凡夫を教化するにあたり、凡夫は六道輪廻しているために苦から抜け出せなくている。その凡夫を救う手段を菩薩に仏様が授けた。

 その手段とは①「生・住・異・滅」②「40余年真実をあらわさず」③「無量義は一法より生ず」でした。この説明は前回をご覧下さい。

 そしてこの無量義を授けたことにより世界中が感動にうちふるい、天から美しい花々が降ってきました。😊

 この美しい花々が降ってきたということを私は実際に体験しました。それは法華経の勉強会をしている時でした。勉強会の会場の前に桜の木があるのですが、その日は風が吹いていましたので、桜の花びらが季節外れの雪かと思うほどに舞い込んできたのでした。本当に法華経の説かれる所にはこのような現象が現れるのだと感動したことがありました。

 今回は説法品の2回目です。

前回、仏様は「40余年真実をあらわさず」と、気根・性質・根性欲等々で一気に真実を

説けばとてもとても無理と尻込みする者も出て来るであろうと、気根に応じて様々な法を説いてきたが、いよいよここで真理はただ一つである。「一法は無量義より生ず」ということで、それは「性・相・空・寂」(しょう・そう・くう・じゃく)である。と説かれました。

 

「性・相・空・寂」 

性・・・性質

相・・・性質があらわれた状態

空・・・平等

寂・・・調和

 この状態、つまり性質の現れ方は千差万別であるが常に変化していて大調和している状態である。これがただ一つの真理である。変化していることにとらわれていては苦から抜け出せません。良くも悪くもすべて必然で受け入れることが幸せへの道です。

 

「六道輪廻」

地獄・・・心が怒りにちている

餓鬼・・・貪りと欲ばり

畜生・・・不平不満

修羅・・・利己的で人と対立している

人間・・・良心があり反省もできるが上の4つの心も持っているのでふらふらしている

天上・・・喜びがあるが慢心がおき、いつでも上の5つに戻る

 

六道輪廻から抜け出して幸せになるには良い行いをし、心清らかになれば良いのです。

そこで菩薩は仏の悟りを得る為に人を救う事を決意したのでした。「発菩提心」です。

「自行化他」(じぎょうけた)・・・自らも修行しつつ人をも救う

「自利利他」(じりりた)・・・みずからも高めつつ人をも救う

 

 最後に仏様=宇宙・真理・大調和  はいつでもどこでも様々な身を表し、人を救って下さるということです。

 

それは自分の出来る範囲でよいので人の為、世のために少しでもできれば、そこに仏様の働きが現れ、幸せを頂けますということです。

 

宇宙は良くも悪くもすべてが調和で成り立っている。持ちつ持たれつの大調和の世界です。仏様は2500年前にそのことをすでに説いて下さっておられたのです。

 

次回は無量義経 十功徳品第三に入ります 

 

 

真に幸せになるための法華経 無量義経説法品第二 NO.3    

 

無量義経 説法品第二

 

 前回、徳行品第一では、仏様や菩薩の徳を讃嘆して教えを受け入れる態勢ができ、まず一般大衆を救うために菩薩を教化しました。                    次に私達は真理を知らないから右往左往するのです。そこで十二因縁が説かれました。それは無明、字のごとく明るく無い、つまり真理を知を知らないから迷うということでした。真理の道を歩けば幸せな人生が送れるということでした。

 

では今回は説法品第二に入ります。

 

ここでは大荘厳菩薩(だいしょうごんぼさつ)と八万の菩薩が釈尊に質問する様子が描かれています。

 

真理を知らない一般大衆は六道輪廻して苦しみから抜け出せないのです。菩薩はその人々を救うには実相(真理)を見極める必要があります。

①実相すなわち「生・住・異・滅」を知ることです。物事は生じ、しばらく留まり、変化しやがて滅していくということです。

菩薩にこれらのことを見極め慈悲と智慧で接するなら一般大衆が救われるということが起こってきます。そのことにより菩薩が最上の悟りを得ます。と質問に答えています。

 

②ここで大荘厳菩薩の質問でなぜ真実を40余年あらわさなかったのか「40余年真実をあらわさず」とのことに釈尊は人々は機根・性質が様々な為、根性欲に応じて説いてきたために40余年間究極の真理を表して来なかった。とお答えになっています。

 

③究極の真理「無量義は一法より生ず」

それは一切の差別を作らず一切が平等ということです。説法品の一番大事なところです。

 

この後、無量義が説かれたことによって世界中が感動にうちふるい、天から美しい花々降ってきました。

 

次回は無量義を得た者の利益と感動をお伝えします。

 

真に幸せになるための法華経

無量義経 徳行品第一 

 

前回一回目に、いよいよ仏様が法を説きになるにあたり、菩薩やその場に居合わせた人々が仏様の徳をたたえて、教えを受け入れる態勢ができました。

 

今回は人々を救うにあたり、まず菩薩の教化の仕方が説かれていますので、その内容を見ていきます。

 

まず、十二因縁が説かれ、一般大衆のよき師となるようにと菩薩を導きます。

 

「十二因縁」

①無明 ②行 ③識 ④名色 ⑤六入 ⑥触 ⑦受 ⑧愛 ⑨取 ⑩有 ⑪生 ⑫老死

以上のように十二段階を踏んで人は人生を歩んでいきます。

 

①無明(むみょう)過去世。字のごとく明るくない。つまり、真理を知らないから人生         いろいろとつまづきます。

②行(ぎょう)過去世。 真理にはずれた行いをしてきた。

③職(しき)現世。 母の胎内で識が生まれる。

④名色(みょうしき)現世。 胎内で自分の存在を認識する。

⑤六入(ろくにゅう)現世。 眼、耳、鼻、舌、身、意、が整う。

⑥触(そく)現世。 出生して外界にふれる。

⓻受(じゅ)現世。 好き嫌いの感情が生まれる。

⑧愛(あい)現世。 愛着、執着が生まれる。

⑨取(しゅ)現世。 所有欲が生まれる。

⑩有(う)現世。 自己主張が始まる。

⑪生(しょう)未来世。 次世代の生命の誕生。

⑫老死(ろうし)未来世。 ついに老死に至る。

 

真理を見極めて人生を歩むことの大切さを教えています。

 

真理を知らない(無明)の為に四苦八苦(生老病死)します。

私たちは常に「六道輪廻」(ろくどうりんね)人間界、天上界、修羅界、畜生界、

餓鬼界、地獄界の6つの心で右往左往しています。このことを次回お話します。